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東京高等裁判所 昭和46年(く)71号 決定

少年 T・S(昭二六・一一・五生)

主文

原決定を取り消す。

本件を横浜家庭裁判所に差し戻す。

理由

本件抗告申立の趣旨及び理由は、申立人提出の抗告申立書記載のとおりであるから、これを引用する。そして、これに対し次のとおり判断する。

理由一の点(一事不再理違反)について

関係記録を調査したところによれば、原決定が認定した非行事実の1の窃盗の事実については、昭和四四年一二月三日横浜家庭裁判所において少年法一九条一項による審判を開始しない旨の決定がなされていることは明らかであるが、これが、同裁判所において調査しても少年の所在が不明であつたことによることも明白である。そして、右のように少年の所在不明の理由によつて審判を開始しない旨の決定がなされた場合は、事件の実体については未だ判断を下していないのであるから、その後少年の所在が明らかになつた段階において、あらためてこれに対する措置を定めることはむしろ当然であり、必要がある場合に再度立件してこれを審判に付することを妨げるものではないというべきであるから、原決定が前記窃盗の事実を審判の対象としたことを目して一事不再理の原則に反するものとし、憲法三九条違反を主張する所論は、その前提を欠くものであつて、採ることができない。

理由二の点(重大な事実誤認)について

所論は、原決定が認定した非行事実の3の各恐喝の事実につき、少年は、○本○出○らの行為により頭部に重傷を負い、一〇日間入院治療をうけたほか二〇日以上もの自宅加療を余儀なくされ、入院治療費、休業補償費その他の補償として○本らに対し二三万円位の損害賠償を請求する権利があり、A、B及び少年はこの権利を行使する意思で行動したものであるから、その行動について恐喝罪が成立するいわれはない、恐喝罪の成立を肯定した原決定には重大な事実誤認があると主張するものである。

よつて検討するに、関係証拠によれば、少年は、昭和四五年九月一七日午前零時ころ、ほか二名とともにトラックに乗つて横浜市○区○○○町××番地○生○寮前を通行中、少年○水○同○山○及び同○村○並びに○井○一ら六名位の者と口論となり、○水らの○本○出○(当時二八年)に助勢を求めに行つた結果、○本が現場に馳けつけ、所携の包丁で少年の頭部に切りつけたため、頭部に負傷したほか、その背部にも切りつけられて負傷したこと、右負傷の際○水○らが現場にいたこと、○水○が○本から渡された小さい包丁を所持していたことは明らかであるが、右背部の負傷が、○本の所為によるかまたはその他の誰の所為によるかということが明らかでないばかりでなく、○本の加害行為そのものがその他の者との共謀に基づくものであるか否かが明らかでなく、後者の点については、むしろこれを○本の単独犯行とみる余地も十分に存するということができるのであるから、少年が○本に対し頭部傷害による損害の賠償を請求することができることは明らかであるとしても、○水○その他の者に対してもこれを請求することができる立場にあつたか否かについては、むしろこれを否定的に解するのが相当であると認められるばかりでなく、その相手の大部分が少年であるのに、これに対し用いた手段、方法が社会通念上一般に忍容すべきものと認められる程度を逸脱したものであつたと認められる。そして、関係証拠によれば、少年が藤本らから損害賠償金を取ることをAに一任していたことはこれを認めることができるものの、○本らを脅して金員を交付させることにつきAとの間に予め共謀が成立していたことは、これを認めるに足りる証拠のないところであるが、(1)の犯行の場合は、A及びBが昭和四六年一月一二日正午過ぎ喫茶店「○ン」に入つたところ、偶然○本に出会つたので、同人を脅迫して金員を喝取しようとしたが、○本には資力がなく、○本が金員調逹の手段として○水○及び○山○を呼び寄せたところから、○水及び○山を脅迫して金員を交付させようとかかり、一応脅迫行為を了して話をつけた際、Aからの電話連絡によつて「○ン」に到着した少年が、これに加わり、重ねて脅迫的言動を示して○水及び○山をさらに畏怖させ、○山から五〇〇〇円、○水から三万円をAに交付させて喝取したほか(1)記載の金員交付の約束をさせたものであり、(2)の犯行の場合は、少年は、当初からA及びBとともに喫茶店「○路」に赴き、犯行をともにしたものであるから、原決定3の(1)、(2)が恐喝の罪にあたることは否定できないといわなければならない。原決定には所論のような事実誤認は存しない。

理由三の点(処分の著しい不当)について

原決定は、少年につき、同表示のとおりの非行事実を認定したうえ、その非行の態様のほか、少年の性格、資質、年齢、生活態度、家庭環境等を総合考察したうえ、再非行の可能性がきわめて高いうえに在宅処遇が困難であると認めて、これを特別少年院に送致するのが相当であるとしたものである。関係記録を調査したところによれば、少年は昭和四三年六月本籍地の○岐島を出て横浜に来た後、同四四年三月窃盗、同年四月強姦、同四六年一月恐喝と非行を重ねてきたものであり、とくに、強姦の所為は悪質というを妨げないものであつたところ、少年は、右強姦の非行後約六ヵ月位横浜を離れてその所在をくらまし、そのほとぼりのさめた昭和四四年一一月ころ横浜に戻つて生活するうちに恐喝事件を惹き起したというのであり、本籍地には漁業を営む老齢の両親があるが、原決定当時には少年は本籍地に帰つて漁業に従事することは欲しておらず、横浜には兄姉各一名が存在しているが、いずれも未だ若年であつて、その生活環境よりしても少年を監護する十分な能力があるとは認められなかつたのであるから、原決定が少年を一挙に特別少年院に送致するとしたことは、その理由の存しないものではない。

しかし、

(一)  原決定が認定した恐喝の非行の事実を少年の立場において再論すれば、少年は、たまたま昭和四六年一月一二日○本○出○を発見したAから電話連絡を受けたため、喫茶店「○ン」に出かけ、以後A及びBと行動をともにするに至つたものであつて、少年が首唱してこれをはじめたことではなく、少年が「○ン」に行つた際には、既にAが○水及び○山に対し脅迫的言辞を弄して大体の話をつけてしまつていたのであり、その後の行為についても、○水及び○山の側から入手した合計八万五〇〇〇円のうち、二万円については少年はこれを入手した事実も知らされてはおらず、少年の手許に入つたのは二万円だけで、残余の六万五〇〇円はA及びBが分配していることによつてもその一端が窺われるように、犯行は当時二八歳のAが主体となつて行い、少年はむしろAに追従して行動していたとみられるのであり、なおまた少年は頭部等に相当の傷害を負わされた当人でもあつたのであるから、少年がAらとこの犯行をともにしたことの故をもつて少年の非行性を強いとすることは、必ずしも当を得たものとはいい難く、少年が昭和四四年一一月横浜に帰来してから後、一時女性と同棲して稼動しなかつた期間を除いては、寝泊りは艀船内あるいは友人の居室でしてはいたものの、艀船の船員としての就労は怠らず、これによる収入で生活していて、前記恐○以外には特段の問題を起すことがなく、昭和四六年一月には実兄とともに両親の許に帰省したりしていること等によつてみれば、少年の非行性は沈静期に入つたという見方もできないではないのであり、いずれにしても、少年の再非行の可能性がきわめて高いとすることには疑問をさしはさむ余地があり、

(二)  処分の均衡という点から考えても、当審における事実取調の結果をも参酌してみると、非行事実の2の強姦については、共犯者中最も犯情の悪いものであつたとみられるNことDが、窃盗の非行による審判不開始決定二回、傷害の非行による保護監察決定一回の前歴があるにもかかわらず、試験監察後昭和四四年一〇月二〇日不処分決定を受けていること、3の恐喝の非行については、成人で主犯の立場に在つたとみられるAが、当時窃盗罪による懲役刑の執行猶予期間中にあつたにかかわらず、昭和四六年二月二六日起訴猶予になつていることを考え合わせると、少年だけが特別少年院に送致する処分を受けることは、その当を得たものとはいえず、

(三)  在宅処遇の適否についても、原決定時においてはこれを望むことが困難であつたことは否定できないが、原決定後に生じた事情として、従前は少年の非行について無知であつた少年の両親が、これを知るとともに来浜し、少年に対し両親の許に帰つて家業である漁業を継ぐように懇望した結果、少年自身も、従来の非行を反省するとともに、真剣に両親の懇請に応える心境となり、横浜在住の兄姉も側面からこれを強く支援する決意を固め、在宅のまま少年を監護する方策に十分期待を寄せることができる態勢が整つたことが、当審における事実の取調によつて認められるのであり、以上を総合してみると、本件保護事件については、少年に対し在宅保護の途を開くことがむしろ相当であり、原決定が少年を特別少年院に送致するとしたことは、著しく当を失したものであるということができる。

以上の次第で、本件抗告は、三の点においてその理由があるから、少年法三三条二項に従い、原決定を取り消して事件を横浜家庭裁判所に差し戻すことと定め、主文のとおり決定する。

(裁判長判事 江里口清雄 判事 上野敏 中久喜俊世)

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